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阪大リーブル 80

明治・大正・昭和の細菌学者たち

北里柴三郎から藤野恒三郎まで

竹田美文

紙 版

ペスト・赤痢・梅毒…未知なる病の打倒に燃えた細菌学者たちの闘いの歴史と記憶を、国立感染症研究所元所長が語る。

出版年月2025年12月05日
ISBN978-4-87259-651-9 C1347
判型・頁数 四六判・290ページ
定価本体2,400円(税込2,640円)
在庫未刊・予約受付中(近刊)
内容紹介
目 次
著者略歴

国立感染症研究所元所長が語る日本細菌学の歴史と記憶
「近代細菌学の父」と称されるドイツのコッホが結核菌を発見したのは1882年のことである。フランスのパストゥールによる自然発生説の否定が1861年、イギリスのリスターによるフェノール消毒法の発見が1865年と、19世紀後半はヨーロッパで近代医学、近代細菌学が一挙に開花した時代であった。同じ頃、わが国は幕末から明治にかけての激動の時代にあったが、大坂の適塾や長崎の養生所で行われていた先進的な西洋医学教育を基盤として、短期間のうちに近代医学の導入に成功する。明治前半、北里柴三郎が数々の偉業を成し遂げ、日本近代細菌学の礎を築くと、その志を受け継ぎ、志賀潔、秦佐八郎、野口英世など、数多くの偉大な細菌学者が誕生した。ペスト・赤痢・梅毒・腸炎ビブリオ食中毒…未知なる病の打倒に燃えた日本の細菌学者たちの闘いの歴史と記憶を、国立感染症研究所元所長が語る。

序章 わが国の近代医学の夜明け
一.幕末から明治初期
二.夜明け前
三.結核菌の発見
コラム 津田梅子
エッセイ ダボスのサナトリウム
第一章 北里柴三郎─わが国の近代医学の祖
一.コッホの弟子となる
二.結核の特効薬
三.北里柴三郎と緒方正規の確執
四.伝染病研究所
五.ペスト菌の発見
コラム コッホのインド旅行
第二章 志賀潔─赤痢菌の発見
一.志賀潔
二.赤痢
三.伝染病予防法と感染症法
コラム 虎狼痢
第三章 秦佐八郎─梅毒治療薬六〇六号(サルバルサン)の発見
一.秦佐八郎
二.パウル・エールリッヒ
三.梅毒の化学療法剤
コラム 梅毒患者の急増
第四章 野口英世─梅毒・オロヤ熱・黄熱の研究
一.清作少年
二.上京
三.科学者・野口英世
四.黄熱の研究
コラム 箕面の野口英世像
第五章 長與又郎─つつが虫病病原体の発見
一.初期のつつが虫病研究
二.伝染病研究所再興の使命
三.病原体
コラム SARS に斃れたカルロ・ウルバニ
第六章 稲田龍吉、井戸泰、二木謙三、谷口腆二─病原スピロヘータの発見者たち
一.ワイル病スピロヘータの発見
二.レプトスピラ症
三. 鼠咬症スピロヘータの発見
四.谷口腆二と大阪大学微生物病研究所
コラム 新種細菌の発見と固形培地
第七章 大原八郎─野兎病病原体の発見
一.野兎病
二.大原八郎の回想
三.病原体
コラム 馬原文彦による日本紅斑熱の発見
第八章 藤野恒三郎─腸炎ビブリオの発見
一.藤野恒三郎
二.シラス中毒事件
三.新種細菌の発見
四.腸炎ビブリオ食中毒
五.学悦の人
コラム 三人の藤野先生
あとがき
年譜
引用・参考文献
筆者プロフィール

竹田美文(タケダヨシフミ)

昭和10(1935)年徳島県に生まれる。昭和35年大阪大学医学部を卒業後、翌年同大学大学院医学研究科に入学し、大阪大学微生物病研究所の藤野恒三郎教授に師事。腸炎ビブリオの研究を始める。昭和40年同大学院修了(医学博士)。
東京大学医科学研究所教授、京都大学医学部教授を務め、平成6(1994)年国立国際医療センター研究所長、平成11年国立感染症研究所所長に就任。日本細菌学会理事長、日本熱帯医学会理事長、日本食品微生物学会理事長を歴任。
国際的な活動として、世界保健機構下痢症制御プログラム運営委員、国際微生物学会連合副会長、日米医学協力委員会委員長などがある。

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